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【明治新政府のもと進められた北海道開拓事業】

北海道開拓のために、政府内に開拓使という官庁が設定されてた。
その開拓使長官であったのが黒田清隆(薩摩出身)

あらかた開拓も進み、政府としての所定の役目を果たしたので、
明治十五年(1822年)にその開拓使が廃止になる事が決定。


黒田は事業を継承させる為に、官有の施設や設備を安値で払い下げることにした。
どのくらいの安値かといえば、事業そのものが赤字であった為、およそ1400万円の
費用を掛けたものを38万円で払いさげるというものであった。

その払い下げを引き受けることになったのが五代友厚(薩摩出身)が経営する
関西貿易会社。

これに対して政府内でも批判の声があがり、特に反対をしたのが払い下げの規約を
作成した前大蔵卿の大隈重信であった。

その折、同郷のよしみでの汚職として、新聞紙上で大きく取り上げられました。
「これは反対していた大隈のリークに違いない」と疑われました。

盛り上がりを見せていた自由民権派を中心にした世論全体が、ここぞとばかりに
薩長中心の
藩閥政治を非難し、国会の即時開設を要求したため、明治政府は
大ピンチに立たされる事に
なったのです。


最終的手段として、伊藤博文らは藩閥政府への不満沈静化のために収束案を
決定します。
それは天皇に裁許を仰ぎ、官有物払い下げの中止と十年後には
国会を開催するという事を
決定。そして、大隈を失脚させたのです。
「明治十四年の政変」


政府を去った自由党の板垣退助、立憲改進党の大隈重信・・・


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